コモンライフ新宮浜の歴史

現在の航空写真

開発当時の航空写真

マツを残した住宅地計画

コモンライフ新宮浜は玄海国定公園の中に位置し、北側には幅300mの保安林、その先には新宮浜海水浴場が広がり,南側は現在では廃線となった西鉄宮地岳線の線路に隣接しています。
開発する際に、敷地である松林に街区を想定し,住宅の建つ位置,日照等を考慮しながら残せる限りのマツに印をつけ,小型ブルドーザーで林を縫うように造成を行ないました。宅地間のマツも残すことができるように,ひな壇状の分譲地にするのではなく,現況地形を生かした造成を行っており,宅地規模は平均340㎡(103坪)となっています。

現在の航空写真

「コモンライフ新宮浜」開発の経緯

コモンライフ新宮浜の土地はもともと集落の入会地でした。しかし,戦後,米軍の管理地となり,雁ノ巣基地への水供給基地として使用されていました。土地は日本へ移管される際,地域住民へ返還されましたが,後に集落の公民館の建設資金捻出のため売却され,住宅地開発が行なわれることとなりました。開発において建築家宮脇檀がデザインを手掛け,1982年に完成し現在に至ります。

開発時に残されたマツ

宮脇檀

「シーサイドももち」 「青葉台ぼんえるふ」

建築家「宮脇檀」

コモンライフ新宮浜のデザインを取りまとめた人物の一人として、建築家「宮脇檀」があげられます。彼は日本の住宅地設計をけん引し、現在の住宅地デザインの根本を築きあげた人物です。福岡県には「シーサイドももち」「青葉台ぼんえるふ」などの代表作もあります。では、彼はコモンライフ新宮浜を作るにあたってどのような思いを込めたのでしょうか。

『風景は自然と建物でできている。ほとんどの場合、自然は美しく私たちの心をなぐさめてくれるけれど、建物は、たとえ使って便利という点はあるにしても、風景を壊す役割の方が多いといって良い。昔の民家や建物が美しい風景となり得ているのに、今日の多々ものはなぜなり得ないのか。たぶん、古い大工や等量などの人々は、自然の美しさに自分達の建物を調和させることに多くの注意を注いでいたのに、今日の建物をつくる人は、ほとんどそれを考慮していないという点に原因がある。…人間の生活環境は美しく、静かで楽しいものでなければならない。そのためには、効率は当然考えねばならないとして、可能な限り自然と共にあり、緑にあふれ、それぞれの建物が調和し、子どもたちがのびのびと遊べるような場所でありたい。

…一連の住宅地の中で「新宮浜」は、与えられた環境としては、ずばぬけていた。玄界灘に面する深く広い防風林としての松林は、100年近い歴史の産物であった。この深い松を生かす、この松を可能な限り残して、この松に合う家をそっと置くようにして建て、住宅地を作ること。それ以外に「新宮浜」の美しい自然を生かす方法は無かった。…家や門、カーポートに至るまで、この残された自然とどう調和するかを慎重に計画し、配置されるように考慮もした。だから私たちは胸をはって言う。「新宮浜を見てください」……と。』

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